ローマの没落は、複数の要因によると考えるほうが正しいだろう。大きな要因もあれば小さな要因もあり、また、間接的な要因もあれば直接的な要因もある。それらが重なり合った結果がローマの没落なのだ。 株式市場のブームという点で重要なのは、インターネット革命のとらえがたい現実ではなく、この革命によって大衆が抱いた「印象」である。 柳町のアナリストがそうした長期的な楽観論を提示しているのを知っているし、結局のところ、大勢に従うのが安全なのである。 投資家は合理的な意思決定プロセスではなく、株式が持つ「関心価値」「好奇心価値」の影響を受け、本来あるべき姿よりも多くの株式を購入したいという気持ちになる。 株式市場での価格決定に関しては、厳密な科学など何もないということである。金融市場を理解するという点で、エコノミストたちはたしかに前進を見せている。だが、依然として実生活の複雑さのほうが優勢なのである。
市場の回復力に対する信頼は、長期的な価格の安定性への信頼によるものではなく、楽観主義と自信という漠然とした感情に基づくものと思われる。 自転車の乗り方や自動車の運転を学ぶときに使われるのと同じパターン認識機能が、次に何が起きると期待すべきかという直観的な感覚を私たちに与え、それが市場への期待にも適用されているのである。 下がるたびにまた自然に値を戻すという状況を長年にわたって主観的に体験していると、私たちの思考に、ある心理的な影響が生じ、事実に照らしてその影響を評価したり再構築することが困難になってくる。 インフレは結果的に「投機的資産はインフレ調整後の実質ベースで見れば本来の価値を取り戻さない場合もある」という事実を隠蔽してしまう。 投資家の感情は、現在市場で見られる強まる一方の上昇傾向が与える心理的影響によって増幅されるのである。 非線形フィードバック・ループを研究する数学の一分野、すなわち「カオス理論」と呼ばれるものが、株式市場の振る舞いの複雑さを理解するうえで適用できるかもしれない。 他人が多くの利益を稼いだという事実は、多くの人々の目に、ボンジー詐欺に伴う投資の筋書きを正当化する最も説得力のある証拠に見えてしまう。いくら注意深い理屈でその筋書きに反論しても、そうした証拠のほうが強力なのだ。 思考パターンの変化が文化全体に感染し、過去の株価上昇による直接的な影響だけでなく、それに刺激されて生じた周辺の文化的変容の影響を受けて投資家が行動するようになるのである。
彼らはもっぱら「投資家の行動に対する解釈」としてのニュースに反応していたのである。この事件に関するニュース報道は、株価下落がさらなる株価下落を呼ぶというフィードバックを強める「ストーリー」となり、ニュースがなかった場合に比べ、より長期にわたってフィードバック効果を持続させた 異常なほど大きな株価変動があった日が往々にして重要なニュース報道と対応しないのは、たとえ一つ一つの要因が特にニュース性の高いものでなくても、それらの要因が重なって大きな市場の変化を引き起こした可能性があるからだ。 一つ一つを見ればそれ自体は実質的な重要性を持たなくても、それらが複合した効果は大きなものになるだろう。 むしろニュースは、人々の市場に対する考え方を根本的に変化させる一連の出来事の「起爆剤」となる場合のほうが多いのである。 この一〇日間のニュースは震災報道で占拠されており、日本に対して新しいこれまでとは違うイメージが生まれ、日本経済についても従来とは非常に異なる印象が生まれた可能性があるということだ。 阪神淡路大震災が世界の株式市場に与えた影響の解釈として最も優れているのは、震災とそれに伴う株価下落のニュースが投資家の関心を集め、それが「関心のカスケード」を促進して、何かもっと悲観的な要因が前面に出てしまったというものだ。 グランビルの発言に関する一連のニュース報道が、多くの口コミ・パワーによって国民の関心に対する影響を累積させ、彼の発言や、それを受けた市場の下落に対する大衆の反応が、「関心のカスケード」によって根本的に変化したのは確かだろう。 一九二九年の株式市場崩壊という出来事が、何か現実のニュース報道に対する反応であると考えることはできない。むしろそこに見られるのは、株価の変動によるフィードバック効果や、市場に対する大衆の関心が次々に高まっていく「関心のカスケード」を介して進行する「ネガティブ・バブル」である。 株式市場の崩壊は、投資家全般に見られる「心理的なフィードバック・ルーブ」との関連が強く、株価下落が売りを呼び、それがさらに株価下落につながるという、第3章で論じたネガティブ・バブルの流れに沿っていると思われる。 暴落の本質的な原因は、暴落の前後に発生したニュース報道ではなく、フィードバック・ループの性格の変化だという点である。 当日、人々の心に浮かんだ「史上最大の暴落」というイメージには、最初の株価下落がその後の株価下落を生むというフィードバックを拡大する力があった。またそのイメージは、市場が回復に向かうまでにどこまで下落するかを示唆するものでもあった。 八七年の暴落時点でのフィードバックの変化は、価格変動がさらなる価格変動を呼ぶというフィードバックがたえず変化することの一例にすぎないと考えるべきだ。というのは、投資の理論や手法は時とともに変化するからだ。これは、実際にどこまで市場が下落するかを決めるうえで非常に重要な要因である。 株価の変動がさらなる変動を呼ぶというフィードバックの仕組みを変えるような形で投資家の考え方が変化し、それによって価格の不安定性が生まれた様子を、ポートフォリオ・インシュアランスが具体的に示してくれるからなのである。
五年間というタイムスパンは長すぎて、株式市場の高騰・下落の裏にある要因が、人々の意識にのぼらなくなってしまう場合が多い。明白な出来事というより、潜在的なトレンドと思われがちなのだ。 五年という長期間にわたって好調な株価変動が観測される場合、その後の同じ長さの期間には不振に陥る傾向があり、逆に長期間にわたって株価が不振に陥っている場合には、その後の同じ長さの期間には好業績を上げる傾向が強いということだ。 上昇にせよ下落にせよ、五年のあいだに株価の大きな変動が生じた場合には、その後の五年間で反転が生じるという傾向が、完全ではないにせよかなり強く見られる。
人々は「量的なアンカー」を目安に、株式(もしくはその他の資産)が適正な価格になっているかどうか判断する比較材料とする。また「モラル・アンカー」によって、市場に投資しようという主張の直観的・情緒的な説得力を、自分の資産や、今必要と思われる支出ニーズと比較するのである。 株価の水準について判断する場合、アンカーとして最も有力なのは、記憶にある最も新しい株価である。 金融市場で見られる異常は、すべて手近な数値が量的アンカーになるという観点で考えれば簡潔に説明できるのである。 「モラル・アンカー」という観念の基本には、人間の思考のうち行動という結果につながるものの多くは、昼的なものよりもむしろ「物語」や「正当化」という形を取る、という心理学的な原則がある。 魅力的なエピソードが、尋常ならざる強気市場を維持するのに必要な「モラル・アンカー」となっているのである。 ポジティブなもの(高騰)であれネガティブなもの(暴落)であれ、投機バブルを理解するためには、自分自身の直観的な判断における自信過剰が根本的な役割を果たしていることを認識しなければならない。 ニュース報道が株式市場に与える影響も、そのニュースに対する論理的な反応というより、ニュースを私たちがどう「感じる」かを表している場合がある。 アンカーが市場全体で意味を持つのは、同じ考えが多くの人々の心に入り込んだ場合に限られる。
明らかに事実に基づく判断に反する場合でも、多数意見や権威ある者の意見を信じようとする人間の態度が現れている。そうした行動は、実際のところ概ね合理的で知的な行動なのだ。たいていの人は、大きな集団や権威ある者の判断に逆らって失敗した経験を過去に何度も積んでおり、そうした経験から学んでいる。 人々は意見を形成する際に権威ある者の判断を尊重し、後にそうして形成された意見に関して自信過剰の状態になる。 完璧に合理的な人でも、他人の判断を考慮して群衆行動に身を投じる場合がある。たとえ他の全員が群集心理に動かされているとわかっていても、それは同じである。その行動は、個人としては合理的であっでも、厳密に定義すれば不合理な集団行動を生み出してしまう。 口コミは、ポジティブなものであれネガティブなものであれ、投機バブルの増殖において本質的な部分を担っている。 過去に犯した失敗を理解するには、自分が何に注意を「払わなかったか」を考慮することが大切なのである。
株価に関しては、一種の中央値(つまり、長期的に見た過去の価格)に回帰する動きがあるわけだ。大きく上昇した銘柄は再び下がり、大きく下降した銘柄は値を戻す傾向がある。 要するに、株価がそれ自体の「生命」を持って動いているのは明らかである。
将来が必ずしも過去と同じにならないことを認識すべきである 自信は過去の株価上昇によるフィードバックのメカニズム(第3章)などから生まれ、さまざまな促進要因(第2章)で推進される。長期にわたる歴史的データの教訓に基づく突然の発見に由来するものではないのだ。
高水準は、何百万もの人々の無頓着な考え方による複合的な効果がもたらしたのである。 自分自身の感情と行き当たりばったりの関心、従来の常識に対する認識を動機として動いている人々なのである。 市場は、ひどく過大評価されていたり(最近のデータによれば、今がまさにその状態だと思えるが)、あるいは逆にひどく過小評価されている場合には、長期的な予測可能性はかなり高いと思われる 一つの問題が起きれば、それが社会・経済にもたらす影響で、他の問題を促進する傾向があるからだ。 金利の変更は経済全体に根本的な影響を及ぼすのであって、政策の修正対象となる投機バブルのみに影響が集中するわけではないという点である。 現在私たちが体験しているような投機バブルの起源は、長くゆっくりとしたプロセスであり、人々の考え方が徐々に変化してきたことによるものである。金利を少しばかりいじっても、人々の考え方に予測可能な影響が出ることはない。大幅な金利変更なら、あるいは予測できる影響があるかもしれない。だがその理由は、金利変更によって経済全体に破壊的な影響が及ぶ可能性があるからなのである。 投機パブルに対処する国家的政策の主眼は、もっぱら、もっと自由な取引を推進し、人々がより多様で自由度の高い市場に投資するチャンスを拡大することに置くべきだ。
「関心のカスケード(連鎖反応)」「情報カスケード」を通じて、株価上昇の見通しを相乗的に増幅してゆくプロセスをも示す。人々は群集心理によって、知らぬまに株価上昇を後押しする存在と化してゆくのである。 経済現象を発生させる主体は常に人間であるという点だ。経済現象の変化に対し、人間がどう反応するかによって経済変動の姿は変わってくる。 メディアの影響、世の中で権威があるとされている人々の言動、あるいは人々の行動の癖により、非合理的な将来予想が持たれることが、とりわけ短期的には十分発生し得るのである。このような非合理的な予想に基づいて形成される株価は、非合理的な水準とならざるを得ない。ところが、長期においてはそのような誤った見通しは、修正せざる得ない局面に直面することになる。そのとき人々は将来予想を修正する。将来予想を修正することに伴い、形成される株価が変動を起こすのである。 人々が想定する将来予想そのものがさまざまな要因でゆがみやすい傾向を有していることを重視し、そのゆがんだ将来予想に基づいて形成される株価が当然ゆがんでくることを踏まえ、一般的に株価形成が合理的でない
これは、実際にどこまで市場が下落するかを決めるうえで非常に重要な要因である。